2013年6月アーカイブ


人としてオフィシャルにも、プライベートにも、人間関係は複雑になります。

そうすると、帰る場所があることによって、気分が楽になることがあるのです。

例えば、仕事でどんなに責められても、家に帰れば「だいじょうぶ」と言ってくれる人間がいる。

外で気にいっている洋服を似合わないと言われても、家には「最高!似合う」と言ってくれる人間がいる。

つまり、何があっても、世界で一人は自分の理解者がいるわけです。

そして、その理解者の待つ家に帰ることが、結婚生活のよさとも言えるのです。

だから、結婚している人が家に帰りたくないと思うようになったら、最終的には家庭は崩壊します。

ああ、帰らなきゃいけないと思ってしまったら、間違いなく別れることになる。

なぜなら、帰りたくないということは、拘束されたくないから。

拘束されたくないということは、相手のことが好きではないからです。

「おれは拘束されたくないから、おまえのことも拘束しないよ」というのは、男性の常套句ですが、それは彼女のことをそれほど好きじゃないから言えるのです。

とにかく、拘束という言葉が出てくること自体、愛がない。

愛があれば一緒にいたい、それだけです。

愛があるなら一緒にいたいということを、拘束だなんて考えません。

拘束されるから結婚はしたくない、と言う人は単に一緒にいたい人がいないのだと思います。

結婚は、どうしてもしなくてはいけないものではありません。

だから、ほんとうに好きな男性が現れて一緒に生きていきたいと思うようになるまでは、結婚で頭をいっぱいにする必要もないのです。

それよりも、もっと、ほんとうに興味のあることを見つけてほしい。

今の若い女性が結婚ということを考えるとき、一番陥りやすい間違いは、頭で考え過ぎるということです。

それは結婚だけじゃない、恋愛にしても同じこと。

恋愛にしても結婚にしても、これが正しいという正解なんてどこにもないのです。

もしも正解があるとしたら、客観的な正解ではなく主観的な正解です。

つまり、「これが私の正解」という、自分だけの正解です。

、失敗してもいい、傷ついてもいい。

恋愛や結婚ならば、ふられても捨てられても嫌われても、離婚してもかまわない。

そこで、人間は落ち込んだり、自己嫌悪に陥ったりしながら成長していくものです。

失敗や間違いをいくつも重ねながら、自分だけの正解を見つけていくのが生きていくということです。

だから、いくら恋愛や結婚を頭で考えても正解は見つかりません。
とにかく、自分で身をもって見つけるしかない。

自分の正解は、自分で体験しながらどこまでも探していくしかないのです。

ところが、今の若者たちは、傷つくことを恐れている。

失敗や間違いを避けようとしているようです。

できるだけ正解を当てたい、できるだけ当たりくじを引きたい、できるだけ近道をしたい、というような考え方をしています。




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